旧小机領三十三ヶ所観音霊場巡り 3日目
本覚寺→宗興寺→慶運寺
本覺寺から慶運寺まで歩きます。
神奈川駅から歩くのが近いですが、横浜駅や東神奈川駅からでもそう遠くはありません。また、神奈川湊や神奈川宿があった場所なのでこの他にも史跡や寺院が盛り沢山です。
A 七番 曹洞宗 本覚寺
神奈川駅から国道1号を挟んだ、丘の中腹にあります。
1226年に臨済宗のお寺として開山します。戦国時代にはこの場所に青木城も作られましたが、1510年に国道1号を挟んだ権現山城で起きた、上田蔵人入道の乱に巻き込まれて荒廃してしまいます。
1532年になると、曹洞宗雲松院(小机駅前に今もあります)の陽広元吉禅師を新たに住職として迎え入れ、曹洞宗のお寺として生まれ変わりました。
江戸時代は神奈川宿町として大変栄えたようですが、末期の開国の頃にはアメリカ領事館を作られたり、近代になっても関東大震災や第二次世界大戦で焼失したりと、立地が立地だけに波乱に満ちた歴史を歩んでいます。
また、旧小机領三十三ヶ所観音霊場は、このお寺出身の滝野愛勝が言い出しっぺで、三十三番の法昌寺(江戸時代は鴨居と小机の間にあったお寺)の宗運和尚と朝庵和尚、一番泉谷寺(小机城の近く)の転誉上人の手助けで始まったそうです。
灯籠に島津氏の家紋(丸十)があります。かつて金港町にあった丸十百貨店がスポンサーのようですが、丸十ベーカリーや丸十金物百貨店や島津藩との関係性は不明です。
門を出たところからは権現山城跡が見えます。
B 八番 曹洞宗 宗興寺
本覺寺から徒歩10分位で到着します。
創立の年代は不明ですが、伊豆海島風土記によると永享十二年(1441年)に、八丈島の宗福寺のお坊さんを五代に渡って招請したと記録にあります。
その後は御多分に漏れず、権現山の乱に巻き込まれたり焼失したり、宗派が変わったり、外国人が来たりして現在に至ります。
ヘボン式ローマ字の人が医療所を作りました。
C 九番 浄土宗 慶運寺
宗興寺から滝の川を渡って徒歩5分位で到着します。
芝増上寺(東京タワーの下)の第三世定蓮社音誉聖観が、永享年間(1390-1440)から文安年間(1441-1447)にかけて創建したそうです。
隣町の浦島町の浦島伝説で知られている観福寺というお寺が、慶応4年(明治元年)の火災で焼失してしまったので、本寺のこちらに浦島伝説関連の寺宝等が移設されたので浦島寺としても知られるようになりました。
(観福寺跡地には日蓮宗の蓮法寺があります)
また、連歌師宗牧の『東国紀行』によると、天文十四年(一五四五)三月三日に後北条氏の小机城衆が、宗牧の旅宿を慶雲寺に用意させたと記されているので、観音霊場に選ばれたのもそのつながりなのかとも思います。
寄り道
時間があればどうぞ
権現城跡
本覚寺から宗興寺の途中にある高台です。
元々は本格寺(青木城)まで繋がっている神奈川灘を見下ろせる高台だったようですが、神奈川台場の埋め立てに使ったり、線路や国道一号を通すために削ってしまい当時の面影は一切ありません。
一番右の写真は城址から見た本格寺です。
神奈川台場跡
宗興寺から国道15号を渡って徒歩5分程度の所にあります。
台場と言えば東京の台場が有名ですが横浜にもあったようです。現在は再開発が進んでごく一部のみ石垣が残っている程度です。